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胡麻を使った料理

近世に、いわば半分ずつ日本に属し、近代になって日本となった地域です。
北海道・沖縄に限らず、九州も、コメ文化が弱く肉の禁忌も少ない、という特色があります。 そうした意味で日本は、ことさら肉を排除して、アジアのなかでも、特異なコメ文化を築いてきましたが、それが日本全体に一様に広がったとはいえません。
逆に、そうとはならなかった両端の地域に、より原型的なアジアとしての古層を残しているのだといえましょう。 肉食自体が禁止されたのではなかった”肉食禁止令“日本でも、旧石器時代・縄文時代と、狩猟・漁携を中心とした生産活動によって、食生活を維持してきました。
先にも述べたように、コメ作りが始まった弥生時代においても、ブタを飼って肉を食べていました。 しかし、ヤマト政権が出現してくる古墳時代ころから、ブタの骨の出土例が少なくなってきます。
そして統一的な古代国家が成立すると、次々と新しい政策が実施され、天武天皇四(六七五)年四月一七日には、いわゆる肉食禁止令が出きれます。 今後、狩猟や漁携を行うことを止めて、四月朔日から九月晦日までは、狩猟の買や漁携の梁を設けてはならず、ウシ・ウマ・イヌ・サル・ニワトリの肉を食べてはいけない、というものでした。
しかし、これを肉食禁止とするには、無理な部分があります。 まず四月から九月という時期に限定されていることですが、これはコメ作りの農耕期間にあたります。
次にはシカとイノシシが抜けている点が重要です。 そもそも肉の字は、”ニク”が音読みで、訓読みは”シシ”なのです。
つまり日本人が食べてきた肉とは、イノシシ・カノシシ(=シカ)・カモシシ(=カモシカ)だったのです。 いちばん親しんできた肉類が落ちているのですから、これが肉食禁止令であるはずがありません。

この法令の性格を知るためには、その前後の関連事項を検討する必要があります。 まず大化二(六四六)年三月には、農業の月にはコメ作りに専念し、ごちそうと酒を慎め、としています。
また持統天皇五(六九一)年六月にも、長雨が続いてコメが不作となりそうな時に、役人たちに肉食と酒を断つよう命じるとともに、僧侶たちにはお経を読ませて、雨が止むように祈っています。 さらに、いわゆる肉食禁止令の七日前には、風水害を防ぐ龍田の神と、水田の水を司び陣瀞の神を祭るよう命じていることから、水田稲作の推進に、その目的があったことが窺われます。
つまり、これは肉食禁止令ではなく、むしろ殺生禁断令と考えるべきなのです。

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前者のゴマと、後者のゴマではどちらがいいですか。

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